「住まう」を考える
こんどの引っ越しで、初めて1階で寝る生活が始まる。ずっと集合住宅だった。ざっと20年は団地に住んでいる。また今度も、公社系の借上げ集合住宅なのだけれど。土に頬を寄せて眠るのはどんな感覚だろうと、胸がときめく。小さい頃のキャンプを思い出す。それがちょっとした楽しみではある(ほんとは基礎もあるし土じゃないだろ、とは分かってますが)。
寝るだけの家になるのかもしれない。どうせなら、寝る気分だけは想像をふくらませたくて。
インテリアを眺めるのが好き。生活の像が頭で結ばれいく。
と言いながら、じぶんの部屋は居心地が悪い。紺屋の白袴? わたしは家に住んでいるという感覚がない。いつの頃からか忘れたけれど、泊まっている感じだ。この「どうせ仮住まいだし」という根性がいちばん悪い。これからは改めようと思う。ストレスをためないのも居心地をよくするのも、手前の責任だ。
そんなわたしには耳が痛くもあり。また同時に頷きながら読んでいた。『独身者の住まい』(竹山 聖/著 廣済堂出版 2002)。
タイトルの通り、まずは「独身者」が住むための建築について。ファッションやグルメにこだわりがあるうえ、それを満たすだけの可処分所得を持つのは独身者が大多数である。生活の基本が「衣・食・住」だとすれば、住まうことに関しても同じことが言えるのではないか、ということだ。著者が設計の依頼を受けた実体験を元にした話で、肌身で感じたものがベースになっている。
「住まい」を考えている人は、人間を愛しているのだと思う。
話は、設計の話にとどまらない。社会において「個」が発達することの重要性を捉えるいっぽうで、美意識についても考察がある。データと感覚の組み合わせによって、説得力が増してるように思う。
なにはともあれ、人間の営み自体が好きだからこそ、その営みを包む「住まい」を考えられるのだろうと思えた。
ある雑誌の「理想の部屋」特集で目にした、某作家のお宅拝見ページを切り抜いている。そのまま真似をしたいというのとも違って、「こういうところに住みたい」と強烈に感じた瞬間だった。
公社についても言及。これには頭を抱えてしまった。それと同時に、自分では語彙が足らなかったことを専門家に言ってもらえたという感じもある。
反抗期のめばえとともに起きた「家に帰りたくない病」(だれにでもありますよね? )は、もしかしたらあんな場所にいたのがきっかけのひとつだったのではなかろうか? なんて思う今日この頃。


