町内で起きた事件について- 08年11月第3週
町内で傷害事件があった。
こんなことを話すとお里が知れるというものだが、切った貼ったの騒動は、わざわざ情報番組で「怖い世の中ですね」と発信するまでもない。ありがちなことだ。
時事について他事総論するつもりはないけれど、なにも書かないのも不自然なので、実際に現場を歩いて感じた・考えたことを書こうと思う。
取材とは、とてつもなく不自然な行為である
今までなんでもなかった場所に、突如として黒いコートが群がる。帰宅途中のルンルン気分の傍らで、一様に神妙な顔つき。しかも一挙一足漏らさぬよう、周囲を観察しているのが分かる。
大手メディアに目立つのが、アンテナをいきなり立て始めたり。発電機を公道に設置したり。自動車が長いこと一時停止していも、警察も止めない。秩序あるカオスな空間。
彼らは明らかに、カタギではない。
報道する側がそれを忘れてしまうと間違いが起きるのではないかと思った。
「社会的正義に燃えて、痛いことをする」のではなく、一般的に観れば異常な生活であっても、本人は「とても普通の生活を送っている」という意識でいるため他人迷惑をかける、という悪循環。一般市民の目線でいようと努力し、立場に寄り添って……というのは可能かもしれない。だけど、もはや取材しようと思う時点で「普通ではない」ということ。
メディアに携わる身としては、このあたり肝に銘じても足りないぐらい。明日は我が身。
いちばん目についたのは、ブルーシートとぬりかべ
ブルーシートに覆われていて、中の様子はまったくと言っていいほど見えない。現場の前は横切れないようになっている。ニュース番組で時々流れるあの画像、どうやって撮影しているのか不思議。
日を重ねるにつれ、警察の備品も増えてきたのか、詰所?ボックスや、機動隊が使う盾が立てかけてあったりする。警察官も、木刀のような警棒を持っていた。
ところでいつも思うに、あの盾ってなにかを思い起こさせる。溶接工場? それもあり。
・ぬりカベ
・ロビンマスク
・秘密結社的な帽子のなにか
この形、なぜか凝視してしまう(用途を考えればどんよりとした気分になるけど)。そんなものに見とれていると、いつかあらぬ疑いをかけられるに違いない。
「テロ」とラベルを貼ることによるメリットって何?
「テロ」という言葉が、やたらと目につく。「テロ」だとしたら、どうなんだろう?
「テロだとしたら許しがたい行為だ」という発言がここかしこに見受けられるけれど、揚げ足をとるつもりはないにせよ、違和感を覚える。「テロだとしたら何の意味もない行為だ」ぐらいに留めておけばいいのに。まぁ、こんなこと言ったら失言か。
それでも…テロだったら怖いのか? そういう問題だと捉えてていいんだろうか、という違和感はぬぐえない。
で。
世の中とは基本的に恐るべきものだ。全然ちがう人間同士が暮らしていこうと思っているのだから。それをどうにか幸福な方向へ導いていく。これが何より意味があるのだと考えている。


