送別会のお餞別として、木彫りのヒグマをもらった。結婚式のビンゴでブーケじゃなくて将棋セットを当てたときと同じ脱力感に襲われている。

送り出されるまで1ヶ月ほど、この話題が雑談のウェイトをかなり占めていたから意味は分かる。とはいえ、すっかりシラフになると途方に暮れてしまう。食べるものに困ったときはこれを…ちがうか。見つめてみると、なかなかつぶらな瞳である。鮭をくわえて、満足げだし。
そういえば、ピアノのF先生宅にもあれがあった。そうか、木彫りのでかいクマをみるとスパルタ教育を思い出すのはそのせいか……。あぁ、忌まわしいソルフェージュの記憶が。
でも、いただいたクマさんはかわいいので良かった。
「こんなのもらったんだけどー」と半笑いでリビングに置くと、「これ始めた人って、苦労してスイスで修行したんだっけね」という声が聞こえてきた。
スイス?
とりあえずググってみると、家人の言うことはだいたい合っているような。ちょっとまちがえているような。というか、誰もが本当のことを分かってない。WikiPediaではものすごく端折ってあるので、あれは鵜呑みにしたらよくない感じだと思います。
アイヌの文化では本来、儀式以外にどうぶつをかたどったものは彫らなかったのだが、必要にせまられて職業にしたとか。ヒグマはアイヌ伝承では、割と鍵になる神だったりしますね。ネイティブアメリカンが作るジュエリーの話と重なるところがある。うーん。
昭和40年代に北海道が観光ブームにわいたときに脚光を浴びたのも今は昔。いずれにしても、後継者不足なのだとか。クール宅急便で海産物もお土産として届くしね。物産展という手もありますし。
八雲町(後述)の旅行記が載っていて、熊の写真がすごい。シルバニアファミリーみたい。
以下メモと推察。
肝心の発祥については諸説あって…。
1.大正時代、徳川義親(当時の尾張家当主)がスイスで見たクマの木彫りに感銘をうけたのが発端で広まった説
当時の尾張家は、八雲町に農場を開墾していたようで、「これは北海道のヒグマでもイケるんじゃなかろーか。農民が冬になったら収入になるんじゃねえ?」という立案らしい。尾張藩士も入植してたのか。農民…のなかには、おそらく(元)士族もいただろうから、内職の心づもりもあったんじゃないかなぁ。傘とかの。ものすごい推量だけど。とにかく、これが道内に広まったという道がひとつ(八雲はその後衰退、旭川が本拠地になっていったらしいです)。
2.旭川(近江出身)の猟師・松井梅太郎が始めた説
クマ猟で命からがら生還したときの念をこめて作成した。試行錯誤をくりかえすうちに、色々な担い手が生まれて旭川から広がっていった、という。わりと有名な話。
3.奈井江町にいた堀井清司が始めた説
1が最初っていうのが、おそらく文献としては多く残っているのだと思う。……だれが最初かはともかく、手近にある素材で「さー彫ってみようか」という人が出てきても、ちっとも不思議ではない気がする。